「2011.3.11」
もう2年になるんだね…。あの津波の映像は、今見てもホンに恐ろしい…。でも、あの時は必要以上に繰り返し流すマスコミに「もういいよ…」と思った。そんな画より、何処の避難所に誰がいるって言う情報の方が、皆んな必要なのに…とも思った。真っ先にやったのは「スッキリ」だったね。
あの日、透析終わりでコヲちゃんちで飯喰って、まったりしてる時に「地震」大きいのが3発くらい来たんじゃなかったかな?何とか渋谷までは辿り着いたけど、そこから先の交通網が、全て遮断されていた。電車はモチロン、バスに乗るのに1時間半かかると言うし、乗ってもビタ一文動かないと言う状況だった。
「歩こう…」
そう思って歩道橋に登って見えた風景に愕然とした。歩道を埋め尽くす人…。その「人の塊」がゆっくり環七方面に動いていた…。
246→環七→目黒通り…。そんな順路を「2時間」かけて歩いて帰った。8時過ぎに尾山台に着いた時、まだ電車は動いていなかった…。
積まれたままの瓦礫、草の生えてるさら地をみると、何故2年も経ってこんな状況なんだろう…。と不思議に思う。政治家の皆さんも、色んな事に一生懸命になるのはいいけど、何か順番が違っている様な気がするんだけどね…。
震災を経験してハッキリした事は、政治家の皆さんは、国民よりも「電力会社」の方が大事だと言う事。復興予算で庁舎の補修工事をした何て言う「見舞金泥棒」みたいなのも現れた。
被災された方が、一人残らず安寧な暮らしを取り戻せます様に、まずはそこからだろう。